↓授業日程表を表示 教科の特徴 芸術とは人間にとっていかなる意味を持つものなのか。それを考えるきっかけを学ぶのが『美術』である。吉田秀和氏がこの問いかけに対して、以下のような見解を披露されているので紹介しておこう。 人生の外に特別「詩的なもの」があるのではなくて、人生の味わいが詩になるように、芸術は衣食住のかざりではなく、生活の中から生まれて来るものである。芸術は人生の、ふだんより高く、強く、豊かな緊張をもった一刻から、外にむかって吹き上げ、あふれ出たもの、それに形を与える仕事だといえる。そうやって出来た芸術作品には、それを見たり聞いたりする人に、そのことを直感さす力が込められている。だから、私たちは芸術作品にふれるのを好み、それによって充実感を覚え、楽しい気持ちになるのである。 芸術とは人生の外にあるもので、それが加わると、人生にプラスになるというのではなくて、新鮮な果物のように、着心地のいい服のように、住み心地の良い家のように、人生そのものを形成する一要素、人生の内容の一部にほかならない。そうして良い芸術は特に、人生の充実し高揚した一刻をつかむきっかけになりうるという点で、単なる手足を動かす労働に従事するという域から一歩先に出る。 この講義では視覚的な理解を促進するために、かなりの量の映像資料をお見せする。誤解を恐れずにいえば、美術は学ぶものではない。感じるものである。しかし、美術館を訪ねても、作品そのものを見ず、脇に置いてある解説を読んで満足する人は跡を絶たない。「知らば見えじ。見ずば知らじ」の精神を唱えたのは大正年間に民芸運動を始めた柳宗悦であった。希少価値が高いとか、高価であるとか、いつ、だれの、といった説明に心を奪われ、もの本来の美に気付かないのは惜しい。人類の英知が生み出した芸術を振り返るのは、物知りになるためでも、懐古趣味にひたるためでもない。そこには、時間という厳しい淘汰をくぐりぬけ、今日に残ったもののみが担い得る普遍的な価値に触れ、自己のよって立つ位置を明らかにしたいという欲求が働いているといってよいであろう。何が本物なのか。価値観の多様化が進んだ現代において、はたして判断の基準となる古典的な尺度が存在するのか。答えを得るには与えられた時間は余りにも短いが、機会を作って実物に出会いに行き、形が語りかけてくる無言の言葉に耳を傾けるといいだろう。先入観に惑わされず、直観的に抱いた第一印象が大切である。 美術史は歴史学の一部に属する。その意味においては、本来の目的とは矛盾しているように見えるのだが、文献資料を重視する立場は厳然として存在する。過去の歴史の事実を定めることは、文字によって書き残された記述内容が、どれだけ正確に事実を物語っているかという判断に依存している。だが、史料を読み分ける歴史家の判断は刻々と動いている現在の影響を受けざるを得ない。つまり、それぞれの時代は、その時代の条件に照らして絶えず過去の歴史を書き直してゆくのであって、歴史の叙述というものは相対的なものなのである。ここで、歴史という言葉を、美術作品という言葉に置き換えると、時代によって同じ作品の評価が変動する現象がなぜ起こるのかが理解できるであろう。美術で学んだ内容は即効性を持つものではない。しかし、見るとはいかなることなのか、諸君がこれまでにどのような見方をしてきたのかを授業を通して認識することは、諸君にとって有益な体験になると思われる。 ナンバリング A0104-1B 1.一般目標(GIO:General Instructional Objective) 口腔内の観察から仕事が始まる歯科医に「見る」という行為が持つ重要性をあらためて指摘する必要はないだろうが、人間は日常的に錯覚をする。見ているようで見ていない。見たつもりになって満足する傾向があるから厄介である。 目から入った情報を脳内で解析する時、人は過去に見た映像の記憶と照らし合わせてそれが何であるかを認識する。逆に言えば、記憶に蓄積されていないものを見た場合、それが何であるかは認識出来ないのである。この点を確認するために、授業では知覚心理学関係の映像資料をたくさん紹介する。あやふやなところがある目でものを見ていることを学生諸君に自覚してもらい、目を過信する危険性について考える一助としたい。 美術史の講義では過去の美術品を分析し、その作品が作られた時代の人間がどのような見方を好ましく思っていたかを探る。視形式の変遷をたどると価値観が時代によって変化してきた事例を実感出来るのである。芸術には正解、不正解はなく、多様な価値観の併存を知る機会になることを期待する。 デッサン実習では石膏像、ガラス器、頭蓋骨(模型)などの細部をじっくり観察して記録していただく。見たものを描くことは、自分がどのように対象を見ているかを確認することになる。安直に眺めていれば細部が曖昧になるから、観察力を鍛えるエクササイズにもなる。 「歯学部なのに美術が必修科目になっていることに疑問を感じていたが、履修を終わってみると美術があってよかった」という感想を毎年頂戴している。歯学部で「美術」が必修科目になっているのは珍しいと思うが、「美術」の授業は、見ることとは何か?自分がどのような目でものを見ているか、この点に関する諸問題を考える契機になることを意図している。 なお、デッサン実習では教室を回って各人の作画の講評を毎回おこなう。見本となるような秀逸な作例はその場で他の学生に披露する。デッサンに不慣れな人でも、描く頻度が増えれば思うように手が動くようになるから心配は不要である。 2.行動目標(SBOs:Specific Behavioral Objectives) 美術の授業では講義と実習を並行して行なう。実習とはデッサン(素描)の練習である。組織学などでは目視で観察した対象を筆写して記録する技術が求められる。そのために鉛筆を用いた素描に慣れておく必要がある。デッサン実習では立体物を平面に置き換えるための短縮法や遠近法に慣れることも目標にする。題材としては石膏模型・骨格標本などを使う。講義においてはデッサンとも関連する視覚の歴史、人類がいかにして3次元世界を2次元世界の絵画に置換してきたか、その経緯を振り返りながら、ものを見るとはどのようなことなのかを考えてゆきたい。 実習においては対象の細部を子細に観察し、正確に記録してゆく根気が求められている。この授業で行うデッサンは、必ずしも絵画的(あるいは芸術的)な完成度を追求する必要はない。むしろ、どこまで丁寧に描写を完成しようとしたか、目で捕捉した情報を的確に整理し、曖昧さを排除して客観的に記録してゆく意識のありようが重視される。往々にしてデッサンの過程にはミスがつきものであるが、失敗に気付いて早期に修正を施せるかどうか、自分が描いた画面を客観的に観察して異常を発見する目が備わっているかどうか、それらの注意点を意識しながら描く姿勢が求められる。ミスを犯さない人間はいない。重要なのは、ミスを発生させないことよりも、ミスを発見して迅速に処理し、被害を最小限に抑えることなのである。デッサンの実習では、そういうメンタルな面にも留意して、冷静な判断力を養うための修練の機会として描いてもらいたい。単に絵を描けばいいというものではない。 3.方略(LS:Learning Strategy) 講義 実習 4.評価(Evaluation)(形成的評価・総括的評価) 筆記試験とデッサンの評価を総合して採点する。 事前・事後学修 スケッチブックを1冊購入する。鉛筆の使い方、素早く対象を描写する技能の向上を目指すため、授業以外の時でも折に触れて素描の練習をすることが好ましい。1月の授業終了時にスケッチブックを回収して採点するが、授業中に描いたもの以外の素描がある場合は、それも評価の対象にする。スケッチブックの画用紙の枚数には十分な余裕があるから、いろいろ描き込んでもらいたい。 【e-Learning】
教科書 鈴木 潔 『もっと知りたいエミール・ガレ』 東京美術 参考図書 鈴木 潔 『もっと知りたいルネ・ラリック』 東京美術 オフィスアワー 授業終了後 講師控室 総授業コマ数 13コマ 出席について 出席は講義開始後10分以内に取る。また講義開始30分後までに入室した場合は遅刻とし、それ以降は欠席とする。公共交通機関の遅延が30分を超える場合は考慮するが、30分以内の場合は考慮しない。
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